編集長コラム

細川 忠宏

自然体で臨むということ

2008年02月10日

初めての体外受精で胚移植が終わったあと、ドクターから判定までの2週間の過ごし方として、"いつも通りに"過ごすようアドバイスされたのだけれど、治療の結果が気になって仕方なくて、"いつも通りに"過ごすことがとても難しかった、かえって、アドバイスがプレッシャーになってしまったと、先日、ため息交じりに、Iさんが話してくれました。

もちろん、先生にはプレッシャーをかける気など毛頭なかったのでしょうが、いつも通りに過ごすということは、意外にも難しい注文に受け止められてしまうことがあるようです。

それまで、二人で悩みに悩んで、やっとの思いで決心した体外受精だったこともあって、治療を受けること自体が、そもそも、いつも通りの生活ではなかったのかもしれません。

また、今から思うと、採卵、そして、受精確認と、逐一、丁寧に報告や説明が繰り返される度に、妊娠への期待感は、無意識にも膨らんでいったということ、

そして、とてもいいグレードであるとの説明とともに胚の写真を渡され、その写真をもって帰宅して、ご主人に見せてからは、もはや、思いは"胚"という"モノ"ではなく、"私たちの子"という"命"になってしまったということ、

だから"いつも通り"に過ごせというのは、ちょっと、残酷かもしれないと思ったということ、

そんなIさんのお話に、本当に経験した人にしか分からないことだということ、そして、"いつも通り"ということを、どのように解釈したらいいものなのかということを、改めて考えさせられました。

ここで言うところの"いつも通り"というのは、何も特別なことをしたり、考えたりしなくてもいい、"自然体で臨む"ということになるでしょうか。

つまり、していいこと、してはいけないことを、具体的に規定しているわけでは、決して、ないのですね。

単に、頑張ったり、無理しなくてもいいということです。

であれば、妊娠のことや"我が子"のことが頭に浮かんでも、打ち消したり、否定することなんて必要ないわけです。

また、もしかしたらダメなのでは・・・、なんていう"後ろ向き"な考えが浮かんたとしても、"前向き"になろうと無理する必要もないということですね。

さらには、移植後の過ごし方だけでなく、他人の妊娠を嫉ましく思ったり、悲しく思ったりしても、それも自然な感情なわけですから、そんなことを思ったり、感じたりする自分を、責めたり、否定する必要も、毛頭ないということです。

そして、そんな自然に湧き起こってくる感情たちを、もしも、流したり、受け止めたりすることが出来ないのなら、思い切って声に出してみてはどうでしょうか。

器が一杯になれば、そこから溢れてしまうのは自然な状態だからです。心や頭の中が、そんな感情で一杯になったら、外に出してみる、つまり、自分一人で抱えるのではなく、誰かに話してみるということですね。

ただし、ここで、大切なことは、目的は、あくまでも外に出すことであって、それを解決するためでは、決して、ないということです。

だから、誰かに、あなたの話しを、ただただ、聞いてもらうだけでいいのです。

何のアドバイスや判断を求める必要はありません。

いかがでしょうか。

無意識に、ココロやカラダを縛っているものは誰にでもあって、状況が困難であれば、あるほど、それらが強く働くものです。

そんな時ほど"自然体"を大切にしたいものですね。