25回以上の人工授精で不妊と不育症を克服

13.08.17

お名前  クリームさん 性別  女性 年齢  43歳 結婚歴  9年10ヶ月
不妊期間 7年 ヶ月 不妊治療期間 3年 ヶ月

妊娠に至った治療内容

33歳で結婚後、子づくりを本格的にと考え始めた35歳で卵巣のう腫発覚。36歳で手術。幸いにも卵巣は残せました。開腹手術だったため、卵管が狭窄気味になったようで、術後に受けた卵管造影検査では片方が詰まってるように見えました。

不妊専門クリニックに通院開始し、人工授精から開始。5回目の人工授精で妊娠するも8週で流産。その後も人工授精を続け、翌年15回目位の治療で再び妊娠。また8週で流産。

何かおかしいと思い大学病院で不育症の検査を受け抗リン脂質症候群が陽性であることがわかりました。

妊娠前からアスピリン、妊娠発覚後にヘパリンの自己注射という不育症の治療も加わることになり、その年の暮れに妊娠。また流産。

胎児を検査した結果、その時は胎児側が原因ということで防ぎようがなかったこと。3度の流産後妊娠しづらかった体がさらにバランスを崩し、生理もまともに来ない状態に。ホルモン検査をしながら、値のいい時には排卵誘発剤を注射して人工授精を試みるというのをつづけましたが、結局1年に2回くらいしかできませんでした。

妊娠に至った経緯

40歳を目前に控え、生理後FSHの値が高値が続いていたため、治療をあきらめようかと思っていたところ、先生がこのまま高値が続いてるからといっても下がるのをまっていても先が見えないため思い切って誘発剤をつかって治療をやってみましょうということに。

排卵誘発剤は3回くらい打ちました。150単位くらいで、腰痛や腹痛などの副作用は若干ありましたが、排卵期にはE2の値もとてもよかかったため久しぶりに人工授精にチャレンジ。人工授精後、着床率をあげるためプレドニンを5日間内服。私の場合は不育症もあったため、アスピリンも高温期は飲み続けました。プラス黄体ホルモンに注射を週に1度。

予定日になっても、生理がこなかったたため病院いくと妊娠反応が・・。4週と2日くらいだったためまだ何も見えない状態でしたが、不育症専門医のところへ転院しました。

結局、通算3年の間に25回以上の人工授精にチャレンジしました。流産したけど、人工授精で妊娠できたため先生はステップアップのことは特には言わずにそのまま続けることができました。

妊娠しやすいカラダづくりのために実行したこと

婦人科で血流をよくするユベラやシナールのビタミンCを処方され、トウキシャクヤクサンの漢方を続けました。

冷え性改善のため、エアロビクスやホットヨガに通い運動は続けました。当時は、仕事は単発で続けていたので仕事によるストレスはなかったですが、不妊治療のストレスがあったため運動や外食などで発散していました。

不妊改善中の方へひと言

ここまではという治療のリミットを決めて後悔ないようにするというのがいいと思います。

卵胞が育っても、けっしてそれがすべていい状態ではないとこうことが言えるので、できればホルモン検査は定期的にされるのがいいのかなと思います。

私は、生理終了後に卵管の掃除の意味で通水検査を受けていました。

その他、ご自由に

不妊に不育症というダブルのなかで、一時は暗闇のなかから抜け出せない状態でしたが、いい医師や看護師さんに恵まれて子供を望んでから病気を克服して40歳で出産することができました。

治療貧乏になったため、子供が1歳4か月で社会復帰。今年、おかげさまで七五三のお祝いができます。

編集室より

七五三を迎えられたとのこと、おめでとうございます!

そして、妊娠、そして、出産に至った貴重なご経験を投稿いただきましてありがとうございます。多くの方々の励みになったのではと思います。

本当にありがとうございました。