望んでも妊娠しない期間が長くなってくると、不妊症と診断されたわけでもないのに、次第に、自分の身体の状態に疑心暗鬼になったりします。
さまざまな検査を受けて、明らかな原因が判明すればまだしも、確かな原因がない、或いは、分らないとなると、なんで?という気持ちのもって行き場がありません。
もしかしたら、前向きで、真面目な性格の人ほど、そんな傾向が強いのかも知れません。
なぜなら、失敗の原因を、謙虚に、自分に求めることは、私たちの住む社会やビジネスの世界では美徳とされているからで、人は、物事が首尾よく運ばなかった場合には、原因を特定し、対策を講じることなしには安心できないからです。
ですから、おさまりのつかない、はやる気持ちは、往々にして、自らを責めることになってしまいがちです。
ところが、よくよく考えてみると、私たちは、ある意味、酷な要求を自らの身体に強いているのではないか、そんなふうに 思うことが最近よくあるのです。
ちょっと、冷静に考えてみてください。
気持ちが、おさまりがつかなく、はやるのは、カラダの自然なペースに耐えられないからではないでしょうか?
そんな悠長なことは言ってられないという事情は確かに理解出来ますし、場合によっては、タイムリーに対策を講じることが、必要なケースがあることも、否定するものではありません。
ただ、女性の月経サイクルが持つペースは、天体の運行サイクルが変化していないのと同じように、おそらく、人類が誕生してこの方、ほとんど変化していませんが、人間が作り出した社会では、物事のペースは驚異的に早まっています。
東京から大阪まで、何日もかけて移動していた時代でも、女性のサイクルは、今と変わりなかったはずです。
要するに、私たちは、昔に比べて、それほど時間をかけて、 待てなくなってしまったのではないかと思うのです。
そして、この自然のペースと私たちが作り出したペースとのギャップが、カラダへの過度な要求になったり、不要な焦りや悩みを作り出しているように思えてなりません。
今、一度、自然のリズムに耳を傾け、そのペースに足並みを揃えることも大切なのではないでしょうか?
そして、カラダの持つ自然なリズムとペースを、じっくりと、 見守るという気持ちも、もう少し、もってもいいように思います。
誰だって、自らを責めるよりも、、自らを信じたいはずですから。