情報不安症
毎週土曜日に開催しているファーティリティレッスンは、4年目を迎えました。。
2005年からの気功教室時代がVer.1、2008年のファーティリティレッスンがVer.2とすると、来年からはVer.3に進化するということになりますでしょうか。
初めて私たちのところにこられた時、漠とした不安を抱えていらっしゃる方が少なくありません。
不安の源は"授からない"ということに加えて、自分は、授かるために適切なことをやれていないのではないか、そんなところにもあるように思えてなりません。
つまりは、もっと効果的な方法やモノを知らないのではないか、そんな不安ですね。
ネット上に氾濫する、"奇跡の妊娠法"や"私は○○で授かった!"等の宣伝文句、はたまた、掲示板にあふれているウワサレベルのお話しを目にすると、誰しも、「知らないのは私だけ?」的な感覚に陥って当然かもしれません。
挙句には、「知らないから授からなかったのかも・・・」、なんてことになってしまうと、もはや、不妊症ではなく、情報不安症です。
"どうしたら妊娠できるのか"ではなく"どのように待つか"
もちろん、程度の問題ですし、また、そもそも、情報不安症というのは、研究熱心さ、向上心の裏返しでもあるわけで、決して、間違っているとか、ましてや、そのこと自体、非難されるようなことでもありません。
ただ、その"努力"の方向性を、少し変えてみると、ずいぶん、不安がやわらぎ、気持ち的なゆとりが出てくるように思います。
どう変えるのか。
それは、関心の対象を、"妊娠法"から"待ち方"にかえてみるということです。
つまり、既にある方法論を探し求めるよりも、授かるまでの期間の過ごし方、すなわち、二人でどう楽しむかについて、それこそ、二人で、徹底的に、考え、実践するのです。
方法論としての正解は夫婦によって違う
○○で授かった!という話しを聞くと、お子さんを望む者であれば、誰だって心が騒ぎます。
でも、そもそも、妊娠の成立に関与する要因は、多彩、かつ、複雑で、個人差もとっても大きいものです。つまり、妊娠するための方法は、100組の夫婦がいれば、100通りの方法が存在するわけです。
ですから、探せば探すほど、次から次へと、魅力的な答えが出てくるものですから、結果が出ないうちは、これでよし!という世界はあり得ません。方法やハウツーにこだわり過ぎてしまうと、結局は、"情報不安症"に陥ってしまう、そんなパターンが待っているように思うわけです。
その時がくるまで、二人でどう過ごす
それよりも、不妊という経験をどのように活用すべきか、そんな発想に転換してみてはどうでしょうか。
例えば、食生活を見直すというテーマで言えば、もっと、妊娠するのにいい食べ物はないかと必死で探すよりも、二人で、いかに、健康的で、美味しい食事を楽しむか、徹底的にこだわるのです。
また、例えば、夫婦生活を見直すというテーマで言えば、もっと、妊娠するににいいタイミングを必死で探すよりも、二人で、いかに、夜を楽しむか、徹底的にこだわるのです。
二人にとって、どんなことが楽しいのか、徹底的に追求するのです。
不妊期間は二人の価値観が形成されるとき
二人にとって、何が楽しいのかを徹底して考えることは、お互いが自分のことやパートナーのことを、改めて、深く、考えるきっかけになって、そのことは、二人の関係を、より、しっかりとしたものにするに違いありません。
何の苦労もない生活を送っていて、そうなるでしょうか?
困難な状況を何とかしようと、二人が力をあわせてこそ、可能になるのではないでしょうか?
そして、そうなって初めて、二人にとっての価値観の輪郭が、はっきとしてくるのかもしれません。