編集長コラム

細川 忠宏

"たまたま"ということをどう考え、どう対処すればいいのか

2010年09月27日

不妊症や不妊治療の解説本には書かれていませんが、不妊の原因には、"たまたま"ということが、相当な頻度であります。どこにも異常がないのにもかかわらず授からない、ということです。

たとえ、適切なタイミングで性交して、精子と卵子が出会えたとしても、受精しなかったり、たとえ、受精しても、途中で成長が止まってしまうことが、かなりの確率であるということですね。

このことについて、どのように理解すればいいのでしょうか?

生き物のメカニズムとして見るとどうでしょうか。

動物には、「固有の歩留まり」があるということです。

いろいろな動物の周期あたりの妊娠率を調べてみると、ラットやウサギでは100%、ニホンザルでは70%、チンパンジーでは50%、そして、私たち、人間では20%と言われています。
人間は、そもそも、妊娠しづらく出来ている生き物のようです。

子孫を残すという目的は共通でも、どのように、そのことを成し遂げるのかについては、それぞれの動物に応じた、違ったやり方があるということでしょう。

人間の場合、そこに排卵しづらいとか、卵管がうまく働かない、男性の精子の運動率が悪いなんてことがあると、20%が10%台になって、場合によっては、ゼロになってしまうわけです。

なんとまあ!私たち、人間の生殖活動は、"偶然"というものに支配されているのでしょうか。
改めて、そのことを思い知らされるものです。

赤ちゃんを待つときには、このようなメカニズムを正しく理解しておきたいものです。

さて、"たまたま"とか、"偶然"ということを、どのように考えればいいのでしょうか?それは、「世の中にはどうにもならないことがある」ということでしょう。

それでは、"たまたま"とか、"偶然"ということに対して、どのように対処すればいいのでしょうか?

偶然が支配する世界では、私たちは、何をすべきなのか、私たちに、何ができるのかということを考えてみます。

3つあります。

まずは、「自分やパートナーを責めない」ということ。

圧倒的に、偶然が支配しているわけです。

誰かを責めたり、何かを悔やんでみても、何のメリットも、何の意味も、そこにはありません。

次に、「偶然は分かち合いたい」ということ。

偶然が支配する世界では、自分に都合のよいことがあれば"幸運"と、都合の悪いことがあれば"不運"と言います。

幸運は嬉しいものですが、不運は悲しいものです。

そうなること、そうなってしまうことについては、私たちにはコントロールできませんが、パートナーをはじめ、周囲の人たちと分かち合うことで、喜びは、より大きくなり、悲しみは、より小さくなるものです。

そして、最後に、「不運を転じて福となす」ということ。

この世の中、運がよいのが幸せで、運が悪いのが不幸なことでは、全くありません。
幸せな人生かどうかは、どんなことがおこったのかということではなく、喜びを見出すココロを持てるかどうかが大きいのではないでしょうか。

つまり、いつ、赤ちゃんを授かるのか、そして、赤ちゃんを授かるのか、授からないのかということと、幸福な人生かどうかということは、全く別のことだと思うわけです。

そして、喜びを見出すココロは、自分の思い通りになった経験よりも、自分の思い通りにならなかった経験からのほうが、大きく育まれるように思います。

考えてみれば、この世の中には思うようにいくことのほうが少ないようです。

であればこそ、"たまたま"や"偶然"とは、うまく付き合っていきたいものです。