編集長コラム

細川 忠宏

不安をみつめることからはじめたい

2011年03月21日

何が何だか分からない、当たり前につながっていた携帯が使えなくなる、この先どうなるのかが見えず右往左往する、そして、状況が、徐々に、明らかになってくる、自分たちの力ではどうにもならない、こんなことになろうとは夢にも思わなかった・・・。

思考停止、孤立感、先が見えない、無力感、想定外と、この、なんとも言いようのない不安な気持ちって、もしかしたら、不妊経験で感じることと似ているのかもしれない、もちろん、その内容やレベルは比べようもありませんが、そう思いました。

もしも、そうであれば、不妊を経験するということは、それぞれのカップルにとっての非常事態と言えるのかもしれません。

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横浜に住む私にとって、今回の地震や津波は、ある意味、他人事です。

ただ、その後の原子力発電所の事故については、さまざまな情報や噂に、私も不安を煽られ、戸惑いました。

周囲では既に避難した人が少なくありませんし、私にも関西や海外への避難を勧告してくれる人もいました。

また、さまざまな生活物資の買いだめに走り回っている人も大勢います。

いかんせん、放射線なんて、リアルに想像できないものなので、いくらでも不安が大きくなってしまいます。

現に、想定外のことが起こっているじゃないかと言われれば、避難するに越したことはないでしょうし、常に備えあれば憂いなし、でしょう。

正直、心が揺れました。

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そこで、この漠然とした不安は、いったい何なのか、何がどう怖いのか、それらを整理して、理解し、把握することに努めました。

最悪の事態という単語、チェルノブイリ級という形容は、無意味、かつ、無限に、不安を煽りますが、専門家は、その内容とレベルを具体的に説明してくれています。

ふつうの生活でも被爆していることを知ると、「被爆するかしないか」ではなく、「被爆量のレベルの問題」だということを知りました。

さらに、どれくらい被爆したら、健康にどんなダメージがあるのか、これまでの研究で明らかになっていること、報道されている被爆量を絶対値を比較するのではなく、単位、すなわち、ミリシーベルトなのか、マイクロシーベルトなのか、そして、それは時間あたりなのか、
年あたりなのかを揃え、そして、比較しなければ無意味であることを知りました。

その結果、起こり得る危険の大きさを、自分なりに把握することが出来るようになりました。

また、最悪の事態が起こった場合でも、被爆量を低減する方法があることも知りました。

その結果、不安が"漠然としたもの"から"具体的なもの"になりました。

そして、私はどこへも避難せず、私に出来ることをすることにしました。

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今、買い占めに走ることが盛んに非難されていますが、そんな人たちは、自分たちのことしか考えていないわけでも、被災した人たちのことを考えていないわけでもないと思います。

不安から自分や家族を守ることは当然のことでしょう。

ただ、不安の見積もり方や対処の仕方が間違っているだけだと思うのです。

お子さんを切望されている人にとって、このまま授かることが出来ないのではないかという、漠然とした不安には、到底、耐えられるものではないでしょう。

それまで予想だにしていなかった事態に対して、自分たちの不安を出来るだけ具体的に把握することが、まずは大切なのではないでしょうか。

そして、それは、人任せにせず、専門家の情報を参考にたり、助言を受けたりして、ふたりで考え、ふたりで、リアルにとらえるべきでしょう。

そのうえで、ふたりで対処の方法を選択し、自分たちを、そして、自分たちの選択を信じることだと思います。