先月の編集長コラムでも話題にした、アメリカ生殖医学会の妊娠力についての学会見解、「Optimizing natural fertility:a committee opinion」ですが、この「Optimizing natural fertility」をどう訳せばいいのか、あれこれ考え、「本来備わっている妊娠力を最適化(最大化)する」としました。
直訳的に「最適化」としたものの、やっぱり、妊娠力を「高める」というニュアンスを込めたほうがいいかなと思い、「最大化」も付け加えました。
で、今になって、やっぱり、「最適化」だけでよかった、「最大化」はいらなかったと思うようになりました。
そもそも、内容をみてみると、「性交の回数を多くする」とか、「体重を適正な範囲で維持する」、「タバコは吸わない」、「お酒やカフェインの摂り過ぎに注意する」というもので、妊娠する力を高めるというよりも、どちらかと言えば、低下しないようにするというものです。
妊娠力を保ち、私たちに備わっている妊娠率を下げないようにしようというものです。
さらに、妊娠する力というのは「ある」もの、「備わっている」ものであり、誤解を恐れずに言えば、私たちの意思で、「強く」し、「高める」なんてことは、幻想に過ぎないのではないかと思ったわけです。
であれば、私たちにできるのは、悪くしないよう、損なわないように、「維持する」ということになります。
もしも、このことが正しければ、「妊娠しやすいカラダづくり」というタイトルは、極論すれば、「ないものねだり」的になるのかもしれません(私たちが言うのは無責任なのは承知のうえで)。
誤解のないようにお願いしたいのですが、「妊娠しやすいカラダづくり」とか、「妊活」なんて無駄だとか、意味がないと言っているわけではありません。
そうではなくて、私たちに備わった妊娠する力というか、妊娠確率は低くなることはあっても、高くなることはないということを理解しておくほうがよいのではということを言いたいのです。
実際に若いカップルが最適なタイミングで性交しても必ず妊娠するわけではない、すなわち、ヒトに固有の妊娠確率があることが科学的に確かめられています。
であれば、「妊娠しやすいカラダづくり」や「妊活」、そして、あらゆる不妊治療は、妊娠する力を高めるものではなくて、もしも、低下したり、なくなっているのであれば、回復させるものであり、機会を増やすことであるということになります。
ところが、妊娠力を高めようと頑張るとどうなるでしょうか。
結局、裏切られる可能性が高くなってしまい、不要な精神的ダメージやストレスになってしまうことだってあるかもしれません。
つまり、妊娠する力を高めようとすると、かえって、妊娠する力を低下させてしまいかねないということが言えるわけです。
このようなことが起こりやすいことを知っておくことが大切だと思います。
結局、「妊娠しやすいカラダづくり」や「妊活」というのは、「活性化」というよりも、「手入れ」に近いのかもしれません。
もちろん、「手入れ」しても、確実に妊娠、出産に至るとは限らないことに変わりありませんが、妊活とは「自分や自分のパートナーを大切にする」ということに尽きるのではないかと思うわけです。