曇り時々雨、のち晴れますように

小倉 智子

不妊当事者の不妊嫌い

2019年08月21日

こんにちは

猛暑はすぎたようで、
少しずつ秋に向かっている、ところでしょうか

さて、先日ネット上のニュースでみかけたのが、
自身の死産の体験をネット上に載せたら、
どうしてそんな繊細な話をするの?というような
批判めいた反応があったとか。

死産という、とてもとても辛い経験を
不特定多数に発信することは
その方なりの、悲しみ方だと思います。

また、ネットの性質上、
読み手が読みたいから、その体験談を読むのであって、
TVと違って、一方的に入ってくる情報ではないので、
それに対して批判をする、というのも、
なぜなんだろう、
と思います。

色々な理由は考えられるのですが、
一つは、人間は何か、日常ではないこと、
あってほしくないこと、
想像を超えるようなこと、
が、実際にあると、
それを受け入れられなくて拒絶反応を起こすことがあります。
僕・私の平和な世界を壊さないで、というような。

それが、死産を経験した人に向けられた批判の背景にあるのかな、と。
自分はそんな悲しい経験なんてしたくないし、知りたくもないから、
そんな体験、発信しないで、
というような。

でも、これは実は不妊当事者にも
時折みられる心理だったりします。

不妊当事者の不妊嫌い、

これはいつも大変お世話になっている東京ハートクリニックの平山先生の言葉なのですが、

不妊を経験されている方は
周囲がなかなか不妊の辛さを理解してくれない、
と言いつつ、

自分が一番不妊を理解していない、
受け入れていないケースがあります。

そういう方は、
不妊は辛いけど(精神的にも肉体的にも経済的にも)
でも、頑張れるところは頑張ればいいだけだし、
夫婦二人のことだから二人で対処すればいいし、
誰かに相談する必要はない!
いろいろ考えるより、
前向きに取り組むことが正解!

のような傾向があります。
勿論、本当に上記のように思えて、
お子さんが授からなかったとしても
心から人生を楽しめるのであればいいのですが・・・

不妊当事者が、予期しなかった不妊を体験し、
想定外の人生を、受け入れられない場合、
不妊を無意識に忌み嫌い、
自分はいつか、この不妊の世界から抜け出して、
不妊でない世界に行く、というような
気持ちになることがあります。

そうなると、なかなか自分の不妊による悲しみ、
傷つき、喪失に気づくことができず、
表面的に「元気」に過ごしますが、
心は様々なケアを必要としているのに、
放置されてしまい、いつか暴走する可能性がでます。

そうなると、
気持ちをコントロールすることが難しく、
また、なんでこんなに気持ちが不安定なのかを特定するのも難しくなります。

誰も望んで不妊を経験していません。
安定した日常を脅かすことだと思います。
それを受け入れるのはとても難しいこと。
でも、まず自分が自分の状況を受け入れてあげることが、
大事です。
周囲の人の理解も、必要ですが、
その前に、
自分の気持ちをしっかりと理解することが
自身の心の安定につながると思います。

とても辛い作業ではありますが、
自分を一番守れるのは自分だけなのです。